70年安保闘争やベトナム戦争反対運動のうねりが高まりを見せた1969年の日本。 広島市内にある私立・拓明高等学校では、70年安保調印反対・ベトナム戦争反対を掲げる学生運動が大規模に行われていた。 事態を重く見た学校当局が 機動隊の出動を要請したため、 校内で機動隊と学生の衝突が起こった。 学生運動の中心人物であった生徒会長の3年生・ 兵藤明 、2年生の橋本文香 山崎義孝らは機動隊ともみ合いと なり、 校内は騒然となった。 山崎はその混乱のさなか、機動隊の発射したガス弾が頭部に命中、 意識不明の重体となる。意識不明となった山崎は30年間、 病院で眠り続けた。 そして1999年、 山崎は奇跡的に意識を取り戻す。 山崎の唯一の身内である叔母に山崎は言う。 「おばさん、お願いがあるんだ。・・・俺、 学校に行きたいんだ」 と。47歳になった山崎が、 高校2年生として拓明高校に復学する。 戸惑うクラスメイトたち。 しかしそれ以上に、 山崎は戸惑っていた。なぜなら生徒たちが理不尽な校則や社会に、 何も考えず素直に従おうとしているからだ。 山﨑は言う。 「何でそんなに敗北主義的なんだ!もっと主体的に物事を考えよう。 校則や文化祭について、 クラス討論をやろうよ!」 と。 山崎の言葉に見向きもしない、醒めきったクラスメイトたち。 しかし、 常に熱く自分の思いを語る山崎のもとに、 少しずつ賛同者が現れてくるのだった・・・。 その中には、かつての仲間だった、小野文香 (旧姓・橋本文香) の娘・小野未来がいた・・・。